Tuesday 21 June 2011

おすもうさんが来た!

佐渡ヶ嶽部屋の方々が、ここから車で10分ぐらいのところにある荒浜(あらはま)に炊き出しに来てくれました。
小学校の子供たちが学校の授業の一環として参加するということで、先生方がなんと私たちも一緒に連れて行ってくれました。

競技を観に行かない限り、力士の方々を生で見る機会というのはなかなかないと思います。
地元の方々も、子供たちも大喜びしていました。
特にこの地域は石巻市の中でもかなり奥地にある集落なので、あまり芸能人の方は来ないそうです。
そのような場所までわざわざ激励に来てくれるとは、うれしいですよね。



スピーチをする琴ノ若親方

琴欧州からお弁当を手渡し
琴欧州と、かわいらしいお弟子さんたち。まだ15~6歳だそうです。

肉三昧のお弁当と、塩ちゃんこ。とてもおいしかったです!
ちゃんこはお弟子さんたちが作ったそう。

食事は、避難所としても使われている憩いの家で

小学校の子供たちと

一人一人に丁寧にサインをしてあげる琴欧州

完全に便乗してツーショット撮ってもらっちゃいました・・・

さらに、履いていたジーンズにサインまでしてもらいました。笑
サインも写真も別にいいかなーと思っていたのですが、やっぱり実際に目の前で見てしまうと欲しくなるもので・・・。そんなわけで、何にも用意してこなかったので、ジーンズに。
おっとりした動作、優しい眼差しにすっかりファンになってしまいました。 

Saturday 11 June 2011

震災の爪痕

6月6日、東京から雄勝町に向かう途中に撮った写真です。
この目で見た壊滅した町、ガレキの山の光景は、言葉を失うほど衝撃的でした。
橋げたの一部が落橋した新北上大橋
この落橋で、対岸に行くには30分以上も遠回りをしないといけない。
橋の通行は年内には再開できる見通しだとか・・・。
川に浮かぶ、流された橋げた

パトカーの向こうに見えるのが、今問題になっている石巻市立大川小学校。
全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明となった。

以前は家が立ち並んでいた、雄勝町のメインストリート
                
倒れた電柱と道路標識
                

家の形が残っているものは稀で、ほとんどは流されて土台だけが残った



かろうじて建物は残っている雄勝郵便局

家を囲む塀もほとんどが流された

雄勝湾を臨む低地に建っている、石巻市立雄勝病院。高さ15メートル。
3階に入院していた寝たきりの患者をのぞき自力で歩ける者は医師、看護師とともに屋上へ逃げたが、
津波はあっけなく押しよせ、無情にも全員を飲み込んだ。
入院していた患者40人全員死亡または行方不明、院長を含む医師・看護師も9人が死亡、15人が行方不明。
病院にいた70人中、生存が確認されているのはわずか6人のみ。

Friday 10 June 2011

フェイシャルマッサージ

以前、化粧品会社で美容部員をしていたときに、店頭でお客様にフェイシャルマッサージをしていました。
体と同じように、顔にも筋肉があり、疲れるとその筋肉がこわばったりむくんだりします。
そこでリンパの流れに沿ってマッサージをしてあげると、リラックスして気持ちいいだけでなく、疲れもとれます。

避難所の皆さんは心身ともに疲れているのはもちろんのこと、十分な化粧品もないのでお肌のお手入れどころではない状態です。そこで、毎晩体育館にお邪魔して、お母さんたちに顔のマッサージをしてあげることにしました。



ポットとタオル、洗面器をお借りして、乳液を使ってマッサージ。
なにもつけない状態だと摩擦が生じて肌にダメージを与えてしまうので、なにかすべりがよくなるものがあれば大丈夫です。
マッサージのあとは、ホットタオルで拭き取って、化粧水と乳液でゆっくりとお手入れ。
翌朝、肌がすべすべしっとりしてお化粧のりもよくなります。

昔の経験がこういったところで役に立つとは思わなかったので、嬉しい限り。
今のところ女性限定なので、男性には悪いなあと思いつつ、お母さんたちに「今日お願いしてもいい?」と聞かれるのは本当に嬉しいです。

Thursday 9 June 2011

豪華メニュー、お昼の炊き出し

8日、9日は2日間にわたって東京から別のボランティア団体の方々がお昼ごはんの炊き出しに来てくれたので、お手伝いさせてもらいました。

プロパンガスのコンロや網焼きまで持ち込まれ、2日ともかなり手の込んだメニューで、カレーもハンバーグもすべてこの場で作りました。とてもおいしかったです。避難所の皆さんも喜ばれたことでしょう。

こういったお昼の炊き出しはだいたい100食~200食ぐらい用意されてくるので近所の方々にも放送でお知らせすると、皆さん食べにいらっしゃいます。おかわりもたくさんあったので、特に子供たちはおなかいっぱい食べられたようです。


8日・・・さんまと五目御飯、コンソメスープ、ふきの煮物、サラダ


9日・・・石垣牛のハンバーグとカレー、ポテトサラダ


さんま、網で焼きました
 
ハンバーグも120個焼きました!

お礼を言いに来た大須小学校の子供たち(全校生徒で18名!)

今回のボランティアの方々と。皆さんフレンドリーですごくいい方達でした
          

Wednesday 8 June 2011

炊き出し

毎日の食事がお弁当のみ、という避難所も多い中、大須小学校の避難所では、ここで生活しているお母さん方が朝、晩の炊き出しをしています。各地域ごとに、1グループ4~5人のお母さんたちのグループが3つあり、毎日交代で朝晩、家庭科室でお料理をし、体育館まで運びます。
私のメインの仕事はその炊き出しのサポート。
配膳の時間は朝ごはん7時半~8時、(準備は6時から)、夕ごはんは16時~16時半(準備は15時頃)で、昼は各自で食べるようになっています。


食材は物資として入ってきているものを使うのがメインですが、お母さんたちが各自調達してきてくれたりもします。

ここにある食材にはかなり偏りがあり、潤沢にあるものは、米、みそ、醤油などの調味料、レトルト食材、逆にないものは肉、魚、卵などの生鮮食品。野菜はそこそこあるけれど一部飽和状態です。
ジャガイモや人参、ネギ、かぼちゃなどは日がかなり経っているものも多く、かつ数が多いので冷蔵庫にも入りきらず・・・。大量に消費しようにも作れるメニューがなかなかない、というような状態です。(ジャガイモをたくさん使うカレーを作ろうにもルーがなかったり)





前任のだんだんカフェスタッフが家庭科室の黒板に書いていておいてくれた食材の在庫



ある日の食事。
            きんぴらごぼう、かぼちゃの煮つけ、キャベツときゅうりの漬物
            
震災直後は救援物資が入るのに時間がかかり、この避難所にも700名以上の避難者がいたため、毎食おにぎりにたくあんという生活が1か月以上続いたそうです。幸いここの地域の人たちは常にお米を備蓄しているので、それを皆で持ち寄って、なんとかおにぎりだけは作れたとか・・・。






Tuesday 7 June 2011

雄勝町より

6月6日から、宮城県石巻市にある雄勝町(おがつちょう)にボランティアワーカーとして滞在しています。
NPO「だんだんカフェ」を介して、雄勝町の避難所になっている大須小学校で寝泊まりさせてもらっています。


雄勝町は宮城県北東部に位置し、太平洋に面しています。        
 (地図の右方に石巻市があり、女川町の北部の日本海に面している部分が雄勝町です)
今回の震災によって甚大な被害を受けた地域の中で、気仙沼、陸前高田、南三陸などはテレビでよく報道されているのでご存知の方も多いかもしれませんが、実際にはもっともっと被害は広範囲であり、その中でもまったくクローズアップされていない地域がかなりあるようです。そのような被災地の一つが雄勝町であり、町は文字通り壊滅状態となっています・・・。

youtubeより“被災地雄勝町から


この映像は震災発生直後の3月16日に撮影されたもので、3か月経過した現在はガレキもかなり撤去されて道路は通れるようになっていますが、町は壊滅したままです。
震災発生直後、この地域は道路の冠水により陸の孤島となり、支援物資や救助は空からしか来れなかったそうです。(グラウンドに石灰でSOSを書いて、支援を待ったとか)当初はこの避難所に700名近い方が避難していたそうですが、現在は約60名の方が体育館で生活しています。私を含め3名のボランティアは学校の教室の一つを借りて寝泊まりさせてもらっています。


これからしばらくの間、できる限り写真や映像を交えながら、ここでの貴重な生活を記していきたいと思います。